台湾チアの歴史

今、大人気となった、台湾チア。
その象徴でもある、スターチア、峮峮の登場や、WBC2023などを経て、
人気は台湾にとどまらず、日本など世界に広まりつつあります。
そんな、台湾チアの歴史を、少し調べてみました。

目次

台湾チア史

台湾でのチアの始まり、きっかけはサムスン・ライオンズ

内野で応援する台灣野球の応援スタイルの起源説としては、韓国野球のほか、日本の大学野球、都市対抗等、様々な説があるが、現在の「台湾チア」文化の起源となったのは、間違いなく04年オフに兄弟象との親善試合で台湾に訪れた韓国野球(KBO)サムスン・ライオンズのチアだろう。

親善試合では澄清湖棒球場にチア用のステージを設置、当時10名のサムスンチアから選抜された4名(盧淑姬、金善花、金順姬、李鎮淑)が熱く踊る姿に台湾のファンは釘付けとなった。多くの報道媒体がこぞって彼女達を取材し、CPBLの公式月刊誌である『職業棒球』誌も273号(2014年12月10日)で「サムスンライオンズが持ってきたもの」と題した特集の大部分をチアにあて、当時のファンの熱狂や効能を紹介している。
同誌によれば、当時の台湾野球の応援は、「大音量を出したもん勝ち」であり、「数千のファンが試合中汽笛や太鼓、加油棒(吹くと音の出るブブゼラのような台湾伝統の応援グッズ)を吹き鳴らし、大声を出す様子は非常に熱狂的だが、3時間の試合が終わる頃には少なくない人の耳がやられるだろう。また各チーム間の応援の特色も違いが見られない」と評しており、それに加えて試合内容に関係なく楽しみをもたらす効果や、イニング間になるとトイレや弁当を買いに行くのが常だった当時の台湾のファンが「2死になると(イニング間のダンスがあるから)徐々に球場のボルテージが上がり出す」光景を目にして、「ここまでの美人であるかは別としても、現場の雰囲気を盛り上げる効果を考えれば、チアリーダーは一考の価値がある」としている。

CPBL初の専属チア  La new Girls誕生

04年11月のサムスン、さらに05年開幕前に交流試合で来台したKBO起亞タイガースもチアを帯同した事で台湾野球界隈のチア熱は一気に加熱。

そこに目をつけたのが当時結成3年目の La newベアーズ(現樂天モンキーズ)。当時本拠地があった高雄の地元モデル事務所及びダンス講師と共同で専属チアチーム「辣妞團( La new Girls)」を結成。当時は4人のメンバーで始まった最初の台湾チアは、06年にはアジアシリーズにも帯同、日本のファンの注目を集めるなど、一定の成功を収めた。(当時アジアシリーズで のLa new Girlsについて民生報は「ビジュアルやスタイルは韓国のサムスンに引けを取らず、多彩な衣装やダンスで多くの日本の男性ファンの注目を集めた」と報じている)。
ただし、当時は休日限定の登場であり、出番も試合前や局間のダンスが主。一定の注目度があれど、全体的な人気は後年の Lami Girls時代には遠く及ばなかったという。

またLa newのほか、統一が07年からダンスユニット「Divas」との提携を開始、09年に名前を「Uni Girls」と改正し、専属化した。

しかし、当時は第二次八百長問題に揺れ、多くの球団が解散・身売りするなどリーグの存続自体が危ぶまれていた時代でもあり、2010年以前に専属チアがいたのは6球団中この2球団のみ。サムスンの来台の影響を受け、CPBLの前にチアブームを先取り、いち早く各チームのチアを作ったバスケリーグSBLで最も人気のあった緯來のチアを、05年に兄弟が招聘するなどスポット的なものはあったが、あくまで一時的な協業に留まった。

全猿主場〜啦啦隊戦国時代へ

チア文化の大きな転換点となったのが、2013年シーズン。またも変革をもたらしたのは、2011年に本拠地を高雄から桃園、チーム名を La newベアーズから改めたLamigoモンキーズだ。
2012年アジアシリーズの視察で訪れた韓国・釜山、ロッテジャイアンツの応援スタイルや球場の雰囲気に上層部が大いに心を動かされ、応援改革が開始された。
2013年には、ホームゲーム全試合を桃園で行うことを始めとして、今では一般的となった電子音楽の採用や、全選手への個人応援歌作成、球場へのDJブースの設置等が行われた。さらに2014年には、一塁側,三塁側問わず内野全体をホーム側応援とする「全猿主場」が開始され、今の台湾の応援スタイルの大部分はこの時の改革でもたらされたものである。
同年正式に「LamiGirls」と改名されたチアチームも、応援スタイル変更の影響を大きく受けたほか、人数の増強等、大きな影響を受け、以後人気も年々大きく増加していく。ちなみに11年から在籍する慧慧は応援改革前を知る唯一の楽天ガールズ現役メンバーである。
またチアの拡大は、チケットの売れ行きだけでなく、企業から見たプロモーション協業先としての魅力の増加にも繋がり、チームのマーケティング戦略の面でも大きな成功をもたらした。

日本人ファンにも印象的な2013年WBCでの激闘による台湾での野球人気の再加熱、上記改革により多くの動員を集めた Lamigo、 Lami Girlsの成功を受け、各チームもその様式を模倣していく。
2013年には兄弟エレファンツ(現中信兄弟)が、「象YOUNG女孩」(2014年のチーム身売り後Passion Sistersに改名)を、義大ライノス(現富邦ガーディアンズ)が「犀睛女孩(15年にRhino Angelsに改名)」を結成。 La new Girlsの結成から8年、ようやく全4チームに専属チアチームが揃った。

2013年3月11日アップされた当時の慧慧、
楽天モンキーズの公式Youtubeより
2013年、PSの前身である「象YOUNG女孩」を
取り上げた当時のニュース映像

チアリーダーの近代化とアイドル化

2014年以後、各チームが徐々に Lamigoの応援様式を模倣し、「内野がホームサイド、電子音楽に合わせて攻撃中にチアが踊り観客もそれに合わせて応援」という現在の台湾野球応援、台湾チアのスタイルが完成してきた。

そして2010年代後半から、徐々に今のチア文化に通じる活動の多角化を見せていく。
 ここでもやはり中心となるのは Lamigoで、2016年に写真集付きの1st シングル『獨一無二的閃爍』を発売。以後多くのチアチームが楽曲やMVのリリースをしていく事になる。
 チームだけでなく個人の写真集を出すメンバーも増え始め、16年に Lamigoの人気チア陳伊、梓梓、小帆 の3名で組んだユニット「伊梓帆」 、同じく LamigoのAmisがチアとして初めて写真集を発売。以降も、18年に苡萱や短今、19年に峮峮、小鹿ら LamiGirls、Passion Sistersの人気メンバーを中心に出版が続く。
 球団公式によるチアグッズの発売はそれ以前も16年の中信兄弟等、偶発的にはあったものの、2018年に Lamigoが初となるチアのカードを発売、2019年には兄弟, Lamigoが全メンバータオル等の全メンバーグッズの発売を開始。現在のバラエティに富んだグッズ展開の先駆けとなった。
 バラエティ番組で籃籃や峮峮を始めとしたチアの活躍が目立つようになりだしたのもこの頃からだ。
 またチアのオーディション参加メンバーも、当初はショウガールや地元の大学生、一般企業務めなどの女の子が多数派を占めていたが、20年以降からはAKB48系列であるTPE48の人気メンバーだった十元らのアイドル経験者、林襄や小珍奶ら加入前から6桁のSNSフォロワーを有するインフルエンサーも少なくなく、チア加入前のバックボーンも多様化。
 チームの応援は勿論だが、以前より個人の人気商売(アイドル化)の現象が見られるようになってきたと言える。

2020年の峮峮
2021年の林襄

台湾チア、世界へ

日本では2014年から現在まで続くロッテと Lamigoの交流や各種国際大会の影響もあり、ごく一部のファンの間では知られる存在だった台湾のチアリーダー。そんな中、YouTubeの影響もあり、2019年に峮峮が日本で爆紅(激バズ)。『週刊ヤングジャンプ』の表紙に起用されるなど、野球ファンの中だけにとどまらない注目を集めた。 
20年以降は、コロナ禍の影響もあり、直接的な交流が出来ない日々が続いたものの、当初「世界で唯一開催されているプロ野球リーグ」であった台湾野球への注目度の上昇や、”巣ごもり”によるYoutubeの視聴時間需要拡大等の要因を受け、各チームのチアリーダーが日本のファンから注目を集める機会が飛躍的に増加。20年5月2日の日刊スポーツでは、『台湾チアが加油日本棒球』と題して、4チーム12人のチアがカラー写真入りで大々的に掲載された。21年には樂天の林襄が、男性ファンだけでなく、いわゆるインスタグラマー系の女性からも支持を受け、こちらも『週刊プレイボーイ』の表紙を飾るなど大人気に。一般の野球ファン、ひいては普段野球を見ない人にも「台湾野球=チアが可愛い」という図式が出来上がったのはここ5年の事と言える。
その活躍は日本だけにとどまらず、23年のWBCではチアを含む台湾式の応援スタイルがMLBの公式サイトで取り上げられ、同大会で来台したキューバチームの選手まで峮峮の名前を知っていたほど。楽天ガールズは、22年に韓国、23年に香港、そして8月に野球の本場メジャーリーグでもメッツ戦でパフォーマンスを行うなど、世界各地に活躍の場を広げている。

23年のWBCで注目があつまった台湾チア
キューバに敗れて予選敗退、
残念ながら東京ラウンドに進むことはできませんでした。

大洋將時代(外国人助っ人の時代)

13年頃から現在の台湾チアに繋がる体制が出来て以来、初めて「洋將」として加入したのが、2018年にLamiGirlsの期間限定メンバーとなった今井彩香(今井さやか)。2014年にロッテとLamigoの交流戦を観戦に桃園を訪れた際に、現地のファンから北川景子似と話題に。2015年から2017年までは、千葉ロッテマリーンズで売り子アイドル「カンパイガールズ」として活躍しており、その後台湾にビールの売り子文化を根付かせたいとLamigo球団にアピールしたところ、逆スカウトの形で加入が決まった。
 また樂天初年度の20年には初の韓国からの”助っ人”として、ハンファ・イーグルスで活躍していた李河潤(イ・ハユン)の獲得を発表。KBOのチアとしても初めての海外移籍となったが、コロナの影響で同年中の来台が叶わないまま、21年に引退を発表した。桃園で踊ることは叶わなかったものの、同年の楽天ガールズカードには、彼女のカードもバッチリ収録されている。

そしてコロナにより規制されてきた海外渡航が全面的に解禁された23年。楽天が元起亜タイガースの李多慧を招聘。抜群のスタイルと本場仕込みのキレキレのダンスで、『李多慧旋風』と呼ばれる大ブームを巻き起こした。元々韓国時代からフォロワー60万を超える人気チアではあったが、樂天加入が決まって以後、6月までの間にフォロワー数が100万人を超えるまでに爆増。チケットの売り上げへの貢献は勿論、樂天加入からの9か月間で12本のCMを獲得するなど、商業的にも大成功を収めた。

 翌24年には各チームが競うように、KBOから人気チアを獲得。Wing Starsの安芝儇(アン・ジヒョン)や、起亜時代にYoutubeでショート動画が2億回再生された邊荷律(ピョン・ハユル、Passion Sisters)ら名だたるチアがKBOからCPBLに移籍。日本人でも初のNPBチア経験者となる希美・千紘の両名がUni-Girlsに加入し、CPBL6,球団総勢14名の外国人チアが活躍している。

 約20年間の間に目覚ましい発展を見せてきた台湾チア界。今後どのような成長を遂げていくかに注目していきたい。

23年楽天モンキーズのイベントYOKOSOで、
コロナ後再来台を果たした今井彩香さん。
2023年、韓国から移籍してきた、人気チア李多慧

20世紀の台湾チア

現在に連なる台湾チア文化の発端となったのが、04年のサムスン来台であることは間違いないが、それ以前に台湾の野球場にチアガールの姿が全くなかったかといえば、そうではない。
 1990年のCPBL開幕当初から、大きな試合等では、地元でショーガール等を務めている女の子を臨時でスカウトし、即席チアを結成する事は多く、93年に行われた兄弟エレファンツと読売ジャイアンツの親善試合では、おそろいの黄色と黒の衣装に身を包み、ポンポンを持って応援する兄弟チアリーダーの様子が写真に残っている。
 CPBLで初めて年間を通してチームに帯同したチアリーダーは、1997年に和信ホエールズが、ドミニカウィンターリーグの名門チームでサントドミンゴを本拠地とするLeones del Escogidoのチアリーダー達。開幕直後、まだ寒さの残る3月16日の試合でお披露目となり、ブルーのコスチュームに身を包んだ5名のドミニカ美女たちが熱いダンスで球場を盛り上げた。彼女たちのダンスや真面目な応援は、球場に足を運ぶファンからは好評を得たものの、球団が予測していたほどの動員効果は出ず、9月14日をもって、契約終了となった。最後の舞台となった台中棒球場での試合には、別れを惜しむ多くのファンがカメラを持って訪れたという。
またインターネットが発達しておらず、明確な資料こそ残っていないが、台湾では97年~02年に存在したプロ野球リーグTML(台灣職棒大聯盟、03年にCPBLと合併し今のCPBLが誕生)では、各チームにチアリーダーがおり、それが台湾プロスポーツのチア文化の発端であるという説もある。

■参考文献
『職業棒球』171号 1997年3月25日
『職業棒球』183号 1997年9月25日
『職業棒球』273号 2004年12月10日
『職業棒球』402号 2015年9月

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